鈎針婆の章 おろし!! #78†防火シャッターを†

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暗闇の中、小さなマグライトの光だけが頼りだ。

阿々論は、震える手をどうする事もできない。

小刻みにライトの光が揺れている。

戸新は、心の中で『おやっさん・・・大丈夫か』と心配した。

この防火シャッターへ通じる通路は、非常事態が発生した折に、全て非常灯に切り替わっているため、一寸先は闇と言っていいだろう。

いつ、化け物が現れるか分からないその恐怖。

戸新は、額の汗を手でぬぐう。

じっとりとしている。

恐怖から来る脂汗、しかし、そればかりではないようだ。

暑い。

とにかく暑い・・・先へ進めば、進むほど、この蒸し暑さは酷くなるばかりだ。

先ほどの衝撃で、給湯タンク、或いは、湯を送るパイプが破裂し大量の湯が流れ出してしまったのだろうと、戸新、そして、ここにいるメンバー全員が思う。

暗闇で目に見えなくても、この廊下いっぱいに蒸気が立ちこめているのが分かる。
頬に、その蒸気が、フワっと当たるのだ。

そうこうしている間に、足下に、水の感触が・・・ピシャ・・・ピシャ・・・

「戸新、湯だ。湯が流れてきた・・・滑るから気をつけろよ」と、先頭を行く阿々論が言った。

戸新は、返事をする事はせず、後ろを振り返った。

暗闇に白く浮かび上がるカウボーイハット。

その男の表情は、まったく伺えない。

いったい何を考えているのだろうか。

こんな暗闇でも、彼は化け物を察知し闘えるのであろうか?
いろんな事、疑問やら不安やらが、次から次へと戸新の頭の中を駆けめぐる。

「はあ・・・あ・・・」
戸新は、耐えきれず、思わす立ち止まった。

そして、頭の中でグルグル回った不安を、アントにぶつけるかのように言葉を発した。

「ア、アントさ・・・」

暗闇に声が響く。

まるで、真夜中の静けさを打ち消す金属音なみに、その声は響いた。

戸新も、思った以上の声量だったらしく、思わず口を手で閉ざした。

阿々論は、不快な表情を浮かべ、歩むのを止め振り返る。

アントも、目線を上げ、立ち止まる。

パシャン・・・パシャンと、水面が波打つのが分かる。

戸新は、一呼吸し、再度、アントを呼ぼうとする。

「ア、アントさ・・・」

「シッ!」

今度は、アントが、左手をかざし、戸新の言葉を遮った。

何かが来る・・・

一瞬で、皆、それが分かった。

空気が張り詰める感じ。

ゆっくりと、マグライトのスイッチを切る阿々論。

カチリ・・・という音ともに、三人の姿が、闇と同化する。

非常灯の光が、ぼんやりと、遠くの方で浮かび上がっている。

戸新は、息を殺すように、その場に制止しているが、
アントに話しかけようと思った瞬間の事なので、少し不安定な姿勢だ。
足下がプルプル震えている。

例えるなら、「だるまさんが転んだ」という遊びでよく見られる、あの不安定な状態での静止が、今の戸新の状態である。

『ヤバイ・・・こんな状態じゃあ・・・音が・・・オレが一番に・・・ヤバイ・・・』
戸新は、自分の不安定な姿勢とともに、心もますます不安定になっていく。
そして、自分の高鳴る心臓の音が、外にまで聞こえていないか心配になり胸を押さえた。

その手すら、ガクガク震えている。

恐怖という魔が、彼の心に確実に侵攻している。

阿々論も同じだ。

今にも、両足が、ガタガタと音を立て震えてしまいそうだ。
それを必死に、手で押さえ耐えている。

波打つ水面。

「もし、化け物が、この音を感知したら自分は・・・」と、不安がよぎる。
阿々論も、心拍数が上昇し、ますます震えが止まらなくなった。

なんとも、耐え難い時間だ。

突然、奴らは、暗闇から現れ、パクリと頭を喰らうかもしれない・・・

ああ、その突然来る恐怖を想像してしまう嫌な時間が流れてゆく・・・

両者の背中に嫌な汗が、ツウっと流れた。

ぴちゃ・・・

ぴちゃ・・・

水音がした。

嫌な音だ。

ぴちゃ・・・

何かが近づいてくる音だ。

姿は見えない。

来る!!

悲鳴を上げようとした瞬間!!

「アントさーん!!」

聞き覚えのある声だ。

美津貝隊員だ。

2つの大きなため息が同時にした。

「ハーイ、ミッシェル」

アントは、ハットを深くかぶり直し、駆け寄ってくる美津貝の方を向いた。

「大変です!!女性が、女性が、ひとり、危険地帯にッ!!」

美津貝は、息切れ切れに叫んだ。

マグライトの明かりに照らされるアントの表情が、みるみる険しくなるのが分かった。

ゴクリと、戸新は唾を飲み込んだ。

「オーマイガーーーッ!シット!!アア、ナンタルコト、ミー怒ラレマスーッ!!マズイデス!非常ニマズイデス!!コノママダト、ホント、アアーーッ」

アントは、頭を抱え、上半身を上下に激しく揺さぶった。

『誰に怒られるのだろう・・・』

戸新は、アントの悶える様を、呆然と見ていた。

ガシッ!!

強く腕を掴まえられた。

ハッと、我に返ると、もの凄く濃い顔が、目前にあった。

戸新は、少し後ずさりをした。

「聞イテクダサーイ、ミー行ケナクナリマシタ、後ハ、YOU達ニマカセマース!」

キリキリと、腕にもの凄く力が込められていく。

『う・痛い・・・』

その痛みに堪えながら、戸新は、ゆっくり心の中で、アントの言葉を反芻した。

そして・・・

「え・・・ええっ!?任せる!?任せるって!!」

戸新が、アントの言葉を理解した時にはすでに遅く、
アントは、美津貝の手を引きながら、猛スピードで走り出していた。

美津貝もこちらを振り返りつつも、何も言わず、言い出せずに、アントに連れて行かれる。

「ア、アントさ・・・」

その言葉は空しく暗闇に消えた。

ポン。

阿々論が、戸新の肩を叩いた。

「行こうか・・・」

少し笑みを浮かべ、「仕方ないよ」といったような表情で、
阿々論は、ピチャピチャと水音をさせながら歩き出した。

ここから先は二人。

このオイボレと二人。

化け物退治など出来るはずがない二人。

戸新の心にまた恐怖というシミが広がってゆく。

一歩が踏み出せない。歩き出せないでいる。

阿々論は、戸新の様子を察知したのか、歩みを止めた。

そして、ゆっくりと語り出す。
それは、熟練の達人が、手塩に育てた愛弟子に教えを説くように、
優しく、そして重みのある口調で・・・

「なあ、戸新・・・俺たちは警備員だ。この施設を利用するお客さん達に、より安全にご利用して頂くために配備された警備隊だ。危険を遠ざけ、安全な場所へ誘導する。時には、危険を排除する事もあるだろう。しかしなあ・・・今回は違うと思う。アレは・・・化け物だなあ・・・いや・・・怪物か?・・・どちらでも良い・・・アレは、人智を越えたものだ。我々が何をしても、敵う相手じゃない・・・出来るなら夢であって欲しい・・・しかしなあ・・・夢じゃないんだよなあ・・・あんな化け物の前じゃ、今までの経験なんか、なんの役にも立たない。今までに、どんな屈強な輩を相手にして来た事があってもだ・・・アレの前じゃなあ・・・アントさんのように動けない・・・我々は無力だ・・・ほんとに無力だ・・・」

少しの沈黙の後、ゆっくりと歩き出す阿々論。
マグライトの明かりに照らされた横顔は、どこか悲しそうな表情であった。

しばしの沈黙・・・足音、水音だけが、暗闇に響いている。
戸新は、マグライトの光を、ぼーっと見つめながら歩いている。
阿々論の言葉を、頭の中で、反芻しながら・・・

「しかしな・・・勘違いするなよ戸新。」

ビクっとした。
前を歩いていたはずの阿々論が、いつしか隣にいる。
いつもの自信に満ちあふれた隊長の眼、おやっさんの眼で、自分を見ていた。

「え・・・?」

戸新は、言葉を濁らした。
それ以上、返す言葉がない。

アントのいない、この絶望的な現状に、どうしたらよいか困惑している自分。
阿々論もそうだと思っていた。

それが・・・

「俺たちは、化け物を倒しに行くのではない。」

それは、威厳に満ちたリーダーの言葉だった。

マグライトで、チラチラと先を照らす、阿々論。

その闇の先にあるものは・・・

「ただ、防火シャッターを閉めればそれでいい・・・それだけだよ。」

一筋の光線により、防火シャッターの制御パネルが、暗闇から浮かび上がった。

こわばった表情をしていた戸新にも、少し笑みが。

『そうだ、いつものように、いつものように行動すれば良いんだ!』

足早になる二人。

任務終了もあとわずか。

防火シャッターに近づくにつれ、湯煙が濃くなる。
水深も深くなり、今では、腰上辺りだ。

「ま、待て・・・」

阿々論は、腕を横に出し、戸新の歩みを止める。
彼の顔から、先ほどの安堵の表情が消えている。

「なあ、無線・・・使えるか?」

「え・・・」

戸新は、ゴクリと唾を飲みこみ、
フォルスターからゆっくりと自分の無線、トランシーバーを取り出した。

阿々論も、胸元のフォルスターからトランシーバーを取り出し、
コツコツと無線機の液晶画面を突き、戸新にアイコンタクトを送った。

戸新は、黙ったままトランシーバーの液晶画面を確認する。
バックライトに照らされた戸新の顔が険しくなる。

トゥルルルルルルルルル・・・

表示される数字が激しく変化している。
まるで、スロットマシーンのように・・・
チャンネルが、コロコロと勝手に変わっているのだ。

壊れたのか・・・それも、同時に・・・2機の無線機が・・・
そんな偶然・・・あるわけがない・・・
以前に、誤ってプールの中に落としたり、3階から落とした事があるが、それでも壊れなかった無線機のシリーズだ。
勤務前の動作チェック,メンテナンスも行っているし、異常は無かった。

なんだ・・・なんなんだ・・・

そして、微妙に空気が変わってゆく・・・
蒸気の層の中に冷気が流れているかのように・・・
ピリピリと、頬あたりに、静電気のようものが発生しているのが分かる。

何かの前触れ・・・兆候か・・・

「そうか・・・オマエのも変か・・・さっきな、美津貝が来ただろ・・・あの時は、冷静じゃなかったので、何も疑問に思わなかったんだが、ふと、今になって、なぜ、美津貝は、無線で連絡しなかったんだろうかと・・・、試しにな・・・コールしてみたんだが・・・反応がないんだよ・・・故障かなと思ったんだが・・・ノイズの中にな・・・変な音・・・いや・・・声のようなものが・・・」

阿々論の背筋に汗が流れる。

戸新は、恐る恐るイアフォンを耳に装着する。

ガガガ・・・

ピピ・・・

ピーーー・・・

ガガ・・・

あ・・・

ああ・・・

い・・・た・・・い・・・

背筋が凍るような・・・それは、この世とは思えぬ声だ。
昔聴いた霊の声、アイドルの音楽テープに吹き込まれていたような霊の声よりも、
はるかに、それは、恐ろしく、リアルな声だった。

「た、た、隊長っ!!」

戸新は、叫んだ!!
阿々論も叫んだ!!

一刻も早く、ここから逃げなければ!!
制御パネルを、早く、制御パネルを!!

二人が駆け出そうとした時、

ザバーン!!

水柱が上がる!!

ザバーン!!

あらゆる所に、水柱が上がる!!

暗闇に残響する轟音。

波打つ水面に、身体のバランスが崩れる。

ザバーン!!

直ぐ横に迫る水柱!!

「ひいいいいいいいいいっ」

すでに、囲まれていたのだ。

阿々論と、戸新は、お互い恐怖の顔で見合った。

両者とも、眼は血走り、顔は引きつっている。

その瞬間!!

ズボコーン!!

二人は、もの凄い勢いで水中に引きずり込まれた。

ゴボゴボゴボゴボゴボッ・・・・

口からいっきに空気が漏れる!!

肺から空気すべてを絞り出されるかのような圧力だ。

「んんっ!!ゴボッ・・・ブハッ・・・ゴボゴボゴボ・・・あああっ!?」

二人の両足には、真っ黒な髪が、ガッチリと絡まっている。

『な、なんだああああっ!!』

その長い長い黒い髪が、まるで巨大タコ、イカのように、彼らを水中へ引きずり込み、
もの凄いスピードで、その髪の"本体"へとたぐり寄せられている。

「ウゴゴゴゴオゴゴボボーーッ」

水の流れと逆行しているため、身が削がれるような痛みが全身に走る。

バシバシバシーッ

必死にもがくが、その尋常でない力に、なす術もない。 

あっという間の出来事。

死は、突然にやってくる。

二人とも、もう、このまま死ぬのだろうと思いはじめた。

苦しい・・・はやく・・・この苦しみから解放してくれ・・・

息が・息ができない・水圧で・・・肺から空気が逃げていく・・・

苦しい・・・苦しい・・・ああ・・・苦しい・・・

もう、持たない・・・我慢できない・・・吐く息を止められない・・・

死ぬ・・・

そう、二人は思い始めた・・・

胸元を押さえる手から力が抜けていく・・・

かろうじてストラップによって手から離れなかったマグライトの光が、
彼らの希望の光。

その光の下、
最期に見るのは、お互い水中で苦しむ顔・・・歪んだ顔・・・

水中で空しく揺れる髪・・・

そして、泡・・・

後、数個、口から泡が出れば・・・意識もなくなるんだろう・・・

ああ・・・意識が朦朧としてきた・・・

おやっさん・・・

と・・・に・・・い・・・

ガツン!!

ガツン!!

ゴボッ!!

ゴボゴボーッ!!

「ツウッ!!」

肉体に衝撃が走る。

黒髪に引き寄せられる方向とは、逆に力が加えられた衝撃だ。

何かに腕を強く掴まえられた。

その凍るような痛みで、阿々論、戸新は、我に返る。

「ゴボッ!ゴボガアアアアアアッ!!」

意識が呼び戻される。

『なんなんだああああああああッ!!』

目の前に、無数の白い手が、二人を掴んでいる。

ふっと身が軽くなった感じがした。

ブチブチブチーッ!!

足に絡まった毛が、黒髪が切れた・・・そう思った瞬間

ザバーン!!

二人は、水面から顔を出していた。

彼らの周りには、まるで蓮の花が咲いたかのように、
白い無数の手が、ゆらゆらと天を仰いでいた。


・・・つづく