鈎針婆の章 おろし!! #74†召還†

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『レディ〜ス ア〜ンド ジェントルメ〜ン・・・』

濃霧の中、妖艶でひときわ通る声がコダマする。

いつしか、合唱団の歌声、オーケストラ楽団の音色は止み、
足踏みをしていた群衆は、その足を止めた。

静まりかえる会場・・・フェスティバルゲート。

辺りは、月より出でる霧に包まれて、すぐ横に立つ者の顔も分からないほどだ。

霧は、この"裏返った世界"に広がり続ける・・・
いずれ、すべてが、すっぽりと霧に包まれるであろう。

まるで、真水に乳白色の液を注いだかのように・・霧は浸透する。

そして、透明な水、純水は、乳白色の水・・不純な水になる・・・

いや、もう不純なのかも知れない・・いや・・すでに不純なんだ・・

そう、この白い霧は、ほぼ、このフェスティバルゲートの中、
建物、建物の間、遊具、遊具の中、広場、入り組んだ路地、階段、すべてに行きわたっている。

いや、それだけではない、僕の身体の周り、僕の腕と体の間、
僕の指と指の間、僕の鼻の穴、僕の口の中、僕の肺の中にまで
この白い霧は、行きわたっているだろう。

そう、月より出でる霧が、"この世界すべて"を白く濁らせたのだ。

この霧に満たされていない場所は、僕の頭の中・・

いや、そうではない。

すでに、僕の頭の中は、霧に包まれているではないか。

ああ・・あの時・・あの写真さえ見なければ・・

き・り・・・錐女・・・

・・・僕の心を・・白く濁らせた一滴のミルク。

あの甘いミルク・・あのミルクが・・僕を狂わせた。

僕は、手探りで、甘いミルク・・いや、そのミルクがしたたる場所、

そう、乳房を求め・・夜を徘徊した。

そして・・あの夜・・あの夜だ・・すべてが一変したのだ。

僕は・・甘い誘惑の液体・・あのミルクを再び飲んでしまった・・

ああ・・僕は、逃げたい。すべての事から。

でも逃げる事は出来ない。

こんな世界は、「怖い」・・・
しかし、逆に「どうしても好きだ」という気持ちが僕の中にある・・

やめられない・・

開かれた扉の先、その扉の中に・・僕は、見てしまったのだ・・

僕の心の中で・・二つの感情がせめぎ合うが・・勝つのは決まっている・・

僕は・・してしまった・・

契約を・・・

そう、契約をしたんだ。

己の「欲求」を満たし、かつ「安全」という保証を得るために・・・

しかし・・今はそれを後悔しているのかもしれない。

いや、わからない。すでに思考回路は、白く濁ってしまい、
もう、まともに判断できないのだから。

怖い・・ああ・・怖いさ・・

逃げたい・・ああ・・逃げたいさ・・

でも・・でも・・・逃げられない・・のだよ。

僕は、撮影しなければならない・・・怖くても撮影しなければならない。

恐怖手紙の一面を飾るような、奇跡の一枚、そういった写真を撮影しなけばならない。

僕はもう・・「恐怖†ポストマン」なのだから・・

しかし・・しかしだ・・・出来るものなら、目を閉じていたい。

目の前に広がる恐怖は、あまりにも僕の許容範囲を超えている・・そう超えていたんだ。

甘かった・・

でも・・でも・・僕は・・逃げずにいる・・僕は逃げずにココにいるんだ。

化け物の中に、僕は、逃げずにココにいるんだ。

契約・・・あの恐ろしい罰則・・"毛のイニシエーション"があるからか?

違う。

白いヘッドギアが軋み、ズキズキと締め付けられるのが嫌だからか?

違う。

契約があるからではない・・こんな僕にでも、それは・・ちっぽけかもしれないが、
プライドというものがある。

そのプライドが、僕を踏み留まらせ・・その時、完全に、僕は"不純"なものに成ったのだ。

もう、浸透する事はない・・行きわたったのだから・・・安心なんだ。

頭は、濁りきった・・そう・・白い霧のオブラートに包まれたのだ。

"慣れ"という不純物と一緒に・・ぐるぐると攪拌されて。

僕の心・・いや、僕が"人間"で有り続けるのを、この"慣れ"が、閉ざしてくれたんだ。

僕を守ってくれた。

だけど・・だけど・・すべてではない・・内緒だけど・・残してあるんだ・・
もしもの時用に・・・

僕の保険だ・・・安全な場所に・・そう安全な場所に。

僕の最後の"犯されていない"場所は・・そう、この中さ・・

密閉された暗い闇、カメラの中、フィルムケースの中に隠してある・・僕の魂の欠片。

ココには、ぜったい霧も入ってこないだろうさ・・

死悶は、ゆっくりとファインダーを覗いた ・・・

純粋な・・"僕は"・・そこにいた・・・

けれど・・今は必要ないんだ・・何を迷っている・・フラつくな・・目を開くんだ・・

「さあ・・撮影しよう・・か・・くう・・たまらんぞ・・ははははは・・・」

群衆は、ぼんやりと浮かび上がった月を見上げている。

その濃霧の中、一際目立つ月を始点にして、一本の光の帯が伸びていく。

蠢く霧・・光の帯の終点・・・

月のスポットライトを受け、女性のシルエットが浮かびあがった。

建物の屋根にあしらえたフェスティバルゲートのシンボルともいえる女神の像、
その豊満な胸が、前へと突き出しはじめる。

本来なら形を変える代物ではない・・石で出来ている。

ズズズズ・・・・

伸びる乳。

乳舞台 ニュウステージ。

その乳舞台に、人影が降り立った。

先ほどとは、角度を変えた月光ライトが、その人影の正体を露わにした。

人間愛、愛の助け合い運動・・赤い羽根共同募金。
その"赤い羽根"を大量に盗んで作ったと云われる伝説のマフラー。
そのマフラーをクルリと首に巻き付け、胸元が大きくあいた漆黒のドレスを纏うひとりの男の姿。

戦場で、ピースマークのバッチを付け、弾丸を撃ちまくっている兵士のように、
愛と平和を嘲り笑うファッション。

ああ・・イイ・・・死悶は、シャッターをきる。

小さいが一際目立つ黒色ドレスハット。
そのハットを軽く乗せた銀髪。
独特のカミナリ様ヘアー・・つまり特大アフロだ。

手には黄金に輝く髑髏の杖を持ち、たっぷりとしたドレープのあるドレス・・

そのドレスの裾が、風に靡いた。

ここまで香る・・香水の香り・・「シークレット・ウィッチ(秘密の魔女)」

ああ・・・ 今大ブレイク中の・・ 地獄のDJ  S嬢 稲妻だ・・

人差し指を天に向けたお決まりのポージングをしている。
 
固唾を呑んで、S嬢の一挙一動を見守る化け物たち。

死悶も、ゴクリと唾を飲んだ・・

「ああ・・あの有名な人だ・・・」

 

乳ステージの直ぐ横の建物、屋根の上に、赤神丞は立っている。

ライトはあたっておらず、その姿は、霧の中に身を隠しているといった具合だ。

赤神は、『やれやれ・・だな・・』と、下を向いたまま、じっとしている。

今は・・もう・・赤神の時間ではないのだ・・・あと少し・・出番は残っているのだが・・

痢煙は・・というと・・・

S嬢の登場・・静かになったこの機会を利用し、
ちゃんと、酒野肴に"今夜の事"、"生き返る事"、"これから何をするか"を電話で説明していた。

意外な事に、与えられた役割を果たしていたのだ。

「だからね、今すぐね、地獄の赤い月を見て!うん、そう、月よ、月。もう、時間がないのよ!え?地獄に時間は無いって?そんなん知らないよ〜生き返りたくないの?もう切るからね!急いでよ!バイバイ」

『ガチャリ・・』即身成仏が、声で、受話器を置いた音を表した。

坊主の頭をテンっと叩く痢煙。

「ふう!よーし、これで、ミッションひとつクリアね!」

その声を聞いた雨女酸性は、周囲を警戒しながら、痢煙の側に寄る。

もの凄く濃い霧が発生しているが、雨女酸性にとってなんの影響もない。

視界はオールクリアだ。

しかし、この霧は、魔を含んでいる・・・これは・・まずい・・

自分の作り出した霧ではない・・この大気の"水"は不純だ・・

雨女酸性は、化け物の目を欺くために発生させていた雲、痢煙の頭の上の雲を消した。

この辺りの大気中の水分は、魔の霧に追いやられてしまった。

完全には、無くなってはいないが・・・少なくなっている。

『もしもの時に・・必要になるわね・・』

雨女酸性は、心の中で、近くの空に浮かぶ雨雲を呼び寄せる神言を唱えた。
その時、ふと雨女酸性は思った。

『わたしは・・いったい・・何故・こんな事を・・』

ほんの数時間前まで、あんなに荒れていた心、そう、まるで、そこらの"怨霊”のように振る舞っていた自分が、たった一人の人間、痢煙との出会いによって、こうも変わるとは思いもよらぬことだった。

母の消滅により、消えさった己の神格、崩れ去った神格。
そう、己が、今まで見失っていたこと、"雨神"であるという神格を、
痢煙との出会いで取り戻すことができたのだ。

何年も心に停滞した雨雲を、一瞬にして連れ去ってしまう痢煙との衝撃的な出会い。

雨女酸性の心には、何十年ぶりに、春の日差しに似た、暖かい陽光が降り注いでいる。

神格を取り戻した今、わたしの持つこの力を、痢煙のために使いたい・・そう思った時、

祖母、母らが、なぜ大気を汚染する愚弄な人間どもの為に、神聖な雨を降らせていたのか、
初めて分かったような気がした。

あまねく全ての人間たちに、"恵みの雨"を降らせたいとは、まだまだ思うことはできないが、
目の前にいる、この天真爛漫な女性、痢煙の為だけになら・・
恵みの雨を降らせることは、確実に出来ると思った。

『次の指示は、なんて書いてありますか?痢煙さん。』
メロンソーダをごくりと一口飲んで、雨女酸性は、ニコリと微笑んだ。

『今世紀最大のビッグイベーントッ〜 ゴンドルアアアアアアッ マアツウウリィィィィィッ!ファイナル エデイーション! 総合司会を務めさせて頂きますのは、地獄界のスーパーDJ ヒステリックボイス ラブジェルエクスタシーフェロモーンマスゥイーン えーすージョオオオオッイナアアヅウウウマアアアアアッ!!』

『おおおおおおおおおっ』(大歓声)

『ファーーーーーーーーーッ』(合唱団の声)

『きゃーーーライトニングーッエスジョオオオッ!!』

『カッチャウ!!』

パンパンパン!!
バチバチバチ・・・・・(花火の音)

『今宵、何百年ぶり、いや、何千年ぶりかに、開催された、このゴンドルアアアアッ!禁断の古の呪法、人間のエゴのかたまーりのこの呪法をつかったーのは、なんと、なんと。なんと、なんと、2001年に開催した "旧正月だよ怒羅ゑ悶"のファイナルイベーントッ クビ〜づうか〜、人間の身でありながらも勝ち残ったという、今や伝説となった男、その男が、今夜も、ブッチギルゼイエイエイエイ!!』

『おおおおっ!!』
『さいこーでーす!』
『さいこーでーす!』

『そいつの名前は、アカガミ ジョオオオオオオオオッ!!』

S嬢は、赤神のいる方向を指差す。

パン

月のスポットライトが、赤神を照らす。

赤い髪が鮮明に輝いた。

『おおおおおおおっ』

今回は、呪術の作法により、以前の時とは違って、偽名を使う事が出来ない赤神は、
あまねく化け物たちに、己の素性を知らしめる事になった。

パシャリ・・
死悶は、興奮を隠しきれないでいる。

少しブレてしまった。

『ジョオオオオオオオオオッ』

群衆をあおるS嬢。
どうやら手に持つ金色髑髏の杖が、拡声器(マイク)のようだ。

S嬢のあおりに、応える群衆。
地響きのような歓声があがる。

『ジョオオオオオオオオオッ・・・・・・』

「ジョオオオオオオオオオっ!!」

空怪も、一緒になって拳を振り上げて叫んでいる。
頭が真っ赤に火照っている。

赤神は、苦笑しながら、S嬢の方を見る。

この男、今はDJの姿をしているが、本来は、地獄と現世の合間にあるといわれる病院、
"怪電波総合病院" の理事長なのだ。

そして、奇しくも名医(ゴースト・ドクター)なのである。

赤神丞、高足痢煙の命を救ったのも、彼であった。
そのため、赤神は、彼に何も言わず、苦笑いするしかなかった。

『何故、儀式をこんな風にアレンジするんだ・・・この医者は・・』と、
赤神は考えたが、とうていS嬢の思考を理解する事はできなかった。

そんな赤神の表情も、ものすごく長い望遠レンズでキッチリ捉える死悶。

『人間が、地獄へ行ってしまった魂を現世に戻すため、月と契約を交わしたのが、この呪術、反魂法のはじまりでーす。しかし、月は、ただでは、魂を返す事は許しませーん。』

『おおおお・・・』(群衆)
「おお・・・そうなのですね・・」(空怪)

『そこで、魂と魂の交換という条件が生まれました!!』

『おおおお・・・』(群衆)
「それは・・つらいな・・」(空怪)

『そうでーす、困ったのが呪術者でーす。魂と魂との交換・・その為に、他に生きている人間の魂を、あの世に送らなければならない・・そこで思い立ったのが、我々のように元々死んでいるもの、彷徨っている魂との交換でーす!!』

『おおおお・・・』(群衆)
「ほう。」(空怪)

『地獄に行きたくても、行けなーい君たちにとって、ありがたーい事!ましてや、ゴンドラ祭りから地獄へ行けば、最高のVIP待遇で帰れるうううっ。こんなのアリ?なんて素晴らしい事なんだあ!!』

『さいこーでーす』(群衆)
「良い考えだな・・誰が思いついたのだ?」(空怪)

『その偉大な考案者は、呪術者でもあり、そして死んでから地獄に渡って鬼百合倶楽部を創設した 赤神矢鬼裏〜っ!!ありがとう!ありがとう!アンタのおかげ!ん?赤神??そうそう、今夜の司祭、赤神丞の遠い先祖にあたるのだあ!!あがめよ!今夜は、人間である彼をあがめよ!赤神家の者を!恨みあるモノも、そんな事は、今夜忘れて・彼をあがめよ!』

『ジョオオオオオオオオッ』(群衆)
「ジョオオオオオオオオッ」(空怪)

『さあ、さあ、さあ・・いよいよ告げてもらいましょう。』

 

会場が静まりかえる中・・・
S嬢は、ニヤリと笑いながら、私を見た。

そして・・『召還する魂の名前を』と言った。

イカれた医者の目は『すでに用意してあるから』と語っている。

 

痢煙がいるであろう方向へ手をかざす・・♭の眼球が、彼女の笑顔を捉えた。

なら、言おう。

「今宵、死の国より呼び戻す魂は・・酒野肴の魂だ。」




つづく・・・