鈎針婆の章 おろし!! #73†月に魂†

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はあ はあ はあ・・・

酒野肴は、長い廊下を無我夢中で走っている。

急がなければならない。

はあっ はあっ はあっ・・・

わたしは"霊"なのに、息づかいが荒くなる。

はあっ はあっ はぐっ・・・

走ると息があがる・・

皮肉にも、そうイメージしているからだ・・

このままだと汗までかき出すだろう・・・

しかし、今は、イメージをコントロールしている暇はない・・

早くしなければ、"生き返る"事が出来なくなる。

そう・・早く赤い月を見なければ・・・

棺桶電話の貴公子カルオス卿が、酒野肴に告げた。

『それは、真実ですよ。彼女の言葉を信じなさい。生き返るチャンスですよ』と・・・

力強い言葉、そしてカルオスのその真剣な眼差しに、酒野肴は心を打たれ、
その"嘘のような"痢煙の言葉を信じた。

そして、酒野肴は、地獄の赤い月を見るために、
全速力で棺桶電話のコーナーから飛び出した。

『なんでこうなの!いつもトロイのよ!あの人はっ!あ、ごめんなさい!』

バタン!勢いよく扉が閉まる。

燕尾服を着た老人は、何事が起こったのかと、走り去る酒野肴を、目で追いかけた。

しかし、あっという間に、酒野肴の姿は、暗闇に消えた。

走り続ける酒野肴。

本当に、生贄で死んだ魂とは思えないほど、ピンピンに回復している。
鬼百合倶楽部での魂のリフレッシュサービス、よほど効果があったようだ。

『ん・・だれ?』

気配を感じた。
鏡の間の辺りから、誰かが後を追いかけて来ている。

『後をつけるのは誰?』

立ち止まり、おそるおそる振り返る・・・

『ああ・・』

後をつけていたのは、縛 架逢南だった。

『びっくりしたあ・・・架逢南かあ・・』

酒野肴は、すぐに安堵の表情になり、縛 架逢南の方へ歩み寄った。

『そんなに慌てて・・何処へ行くの?』

縛 架逢南は、腰に手をあてて不思議そうな顔をした。

『うん、ちょっと。そうそう、架逢南、地獄の月は何処に行けば見れるの?』
酒野肴は、今、説明するよりも、場所を聞き出す方が優先だと思った。

『そうねえ・・中庭に出れば、たしか月を見ることは可能よ。雲がなければね。』
と、縛 架逢南は、少し前を走りだし『こっちよ』と言った。

酒野肴は、後に続いた。
その時・・ふと思った。

どうして、この少女は、私に優しくするのだろうか・・と。

でも、すぐに、今はどうでもよくなった。

そんな事よりも、今は、生き返る事が大事だ。

最優先事項だ。

酒野肴は思う・・・

まだ、現世にやり残した事が山ほどある。
コミックを出さなければ、印税はまったく入ってこない!

『残されたネコの8864(はっぱむし)にエサもやらないと!』

ようやく、中庭への入り口、扉の前に辿り着いた。

目の前の石扉は、"地獄アイビー"と呼ばれている蔦に覆われ、堅く閉ざされている。

酒野肴は、不安そうな顔をした。
『通れないの?』

『何か事情があるようね?』

縛 架逢南は、扉のノブに手をやり、ゆっくりと酒野肴の方を見た。

返答次第では、扉を開ける事を止めるぞ・・そういった目つきだ。

『り・・痢煙から電話があって、私を生き返らせてくれるって・・』

酒野肴は、喜びを隠せず少し笑ってしまったが、縛 架逢南に悪いと思い、
顔を少し下にした。

自分だけが生き返れる・・のだ。
こんな話、生き返る事が出来ない他の霊に、言っていいのだろうか・・
不安を抱く酒野肴。

しかし、そんな心配はいらないとばかりに、縛 架逢南は、ニコリと笑った。

『ふふ、ありがとう。心配しないで。わたし、死んでもう、長いから。生き返る事には、興味がないわ。・・そうか・・だから、月を見れる場所なのね・・地獄の月から迎えが来る・・古より伝わる返魂法。』

そう言いながら、縛 架逢南は、重い石の扉を横にスライドさせた。

『スっスライドかよ・・・』と、酒野肴は思ったが、声には出さなかった。

意外と簡単に石の扉は開いた。
それは、『地獄アイビーが、一緒に引くからよ』と、縛 架逢南は言って、
『どうぞ』と手を差し伸べた。

酒野肴は、おそるおそる中庭に出た。

赤い光に照らされたガーデン。

鬼百合の庭。

もの凄く広大なスペースだ。

ため息がこぼれる。

『すごい・・』

地獄が美しいと感じてしまった。

酒野肴の足下に蔓延る地獄アイビー、
その蔦は、巨大建造物、鬼百合倶楽部の建物をも覆い隠している。

『な・・あれは・・頭?頭なの?』

巨大な頭蓋骨、巨人の頭蓋骨が、中庭の中央に置かれている。

そのオブジェに続く白く細い路。

大理石で出来た石畳の路だと思ったら、その路の終点、巨大な頭、巨大人。
その巨大人の背骨が化石化して出来た路だった。

『うわあ・・びっくりしたあ・・』

その路の先にある巨大な頭蓋骨には、なんとピアノがはめ込まれており、
ベートーベンの楽譜の精、妖精が、「月光」を静かに弾いている。

楽譜の精が奏でる、悲しくて切ないメロディが、ガーデン中を駆けめぐる・・・

涙が自然に溢れてくる・・帰りたい・・酒野肴は、空を見上げた。

『ああ・・大きな・・満月だ・・ああ・・地獄の月は、あんなにも赤っぽく見えるんだあ・・・』

酒野肴は、両手を広げ、地獄の月の光を全身に浴びる。

血のように真っ赤な光が降り注ぐ中、

扉の近くにいた彼女・・そこにいたはずのは、縛 架逢南の姿は無かった・・・

『あれ・・・架逢南・・』

そう思った瞬間、酒野肴の魂は、月の光の中に消えていった・・・



つづく・・・