鈎針婆の章 おろし!! #49†マンホールの女†

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『 ピ チ ョ ン・・ピ チ ョ ン・・雨 が 降 る 』
『 ピ チ ョ ン・・ピ チ ョ ン・・人 が 降 る 』

女の声だ。

か細くかすれた声で唄っている。

あたりは真っ暗で、何も見えない。

ただ一つだけ、揺れ動く灯りがある。

それは、少し離れたところにある。

歌声のする方向に、明滅する炎が、ただひとつだけ。

その炎が、勢い良く燃え上がった時・・・人の姿を映し出す。

女だ・・やはり女がいる。この暗い暗い闇の中に。

女は松明を持っているのであろうか・・・

ゆらゆらと、その女の影が、闇に漂う。

女から『命』というものを感じない。

「お前は・・・」

赤神が言葉を漏らした。

その声は、聞こえるはずのない大きさだったが、

女は、ゆっくりと・・こちらを向いた。

ぴちょん・・・水音がした・・・

炎が、顔を照らす・・・

女の顔は、黒い濡れた髪がべっとりと貼り付いて、
大半を覆い隠しているが、口だけは、よく見えた・・・

女は、笑っている・・・

フ・・・

炎がまたゆっくりと小さくなる。

赤神は、眼を細める。

ボワ・・・

赤神に反応し、炎がゆらりと揺れた。

ザババ・・・

ザババ・・・

女がゆっくりと近づいて来る。

ここは、洞窟か地下道のような場所だと直感する。

水が流れる音がする。

炎が、天井や壁などを、うっすらと浮かび上がらせ、
すう・・・と消えた。

赤神のすぐ目の前で・・・

闇は、一瞬で広がる・・何も見えない・・・

赤神は、立ち上がろうとした。

動けない。

手も足も動かす事が出来ない。

どんなに動かそうとしても、動かす事が出来ない。

そして、激痛が走る。

「ぐ・・あ・あ・・・」

しかし、激痛で、意識がはっきりとした。

「わたしは、地に横這いになっている・・のか」

先ほどまで、自分が、立っているのか寝ているのか分からなかったが、
どうやら、右腹を下にして、倒れている。

「・・意識を失っていたのか・・」

この闇の中に、どうやって辿りついたか、まったく覚えていない。

この闇に落ちた時、腹の傷を押さえたまま、すでに赤神は気を失っていた。

身体が硬直している。

身体の反応、神経の反応が鈍くなっている。
寝起きのような、生やさしさではない。

重い・・

指先、足の感覚がない・・・

まるで、拘束具で両腕、両足を縛られたかのように、
動くことがままならない。


闇が続く・・・



ぴちょ。

ぴちょ。

ぴちょ。



だんだんと、その音だけが近づいてくる。



「 わ た し の 穴 に オ マ エ 侵 入 し た 」



女が耳元で囁いた。

そして・・炎がゆっくりと現れる。

目の前にいる。

すぐ目の前にる。

鼻と鼻が接触するぐらいの近さ、女がいる。

顔がある。

その女が囁く・・・

「 わ た し の 穴 に オ マ エ 侵 入 し た 」

女の唇が、ピクピクと動いている。


髪はダランと垂れ、水が滴り落ち、赤神の頬に当たった。

逆さの顔・・・

女は、腰骨あたりから、ポッキリ折れ曲がっている。

背中とお尻が合わさったかのように、折れ曲がっている。

だから、顔が逆さになる・・・

ぴちょ・・・水滴が、女の鼻を伝い落ちてくる。

赤神と、逆さの女。

鋭い眼光。

眼と眼が合う。

女の眼球は、上目使いでチラチラと制止していない。

左右にブレている。もの凄い早さで・・チラチラとブレている。

その眼は、もの凄く白く濁った眼だ。
ドロリとした眼だ。

ドス黒い血の涙を流している。

だが、逆さなので、涙の痕が逆である。

おでこの方に向かって流れている。

ポツリ・・と、その黒い涙が落ちた・・・・

暗闇と沈黙が続く。

ゆっくりと明滅する炎。

眼をそらせないでいる赤神・・・

赤神の目、鬼の目を、じーと見つめる逆さの女。



ガゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・・



突然、赤神の頭上、女のもっと上の空間、闇の中から、
鉄と石の擦れる音がした。

そして、微かに光りが差し込んで来た。

摩擦音が鳴り響けば、光が当たる範囲がどんどん大きくなっていく。

それは、"まあるい穴"から差す一筋の光。

光の柱が、赤神を照らし、流れる水面を、キラキラと輝かせる。

それは、月・・・満月・・・・いや・・マンホールの穴だ。

マンホールの穴から注ぐ光だ。

外からの光・・いや、そういった光ではない、もっと目映い光だ。

月がすぐ側にあるかのように・・

光に気を捕らわれた赤神を、
女は、何度も濡れた頭を横に振り、水を飛ばしながら
その白く濁った眼で、赤神を見続けていた。


よく見ると、天からの光が、女の姿を露わにしている・・・

濡れた白いシミーズが、青白い肌にぴったりと張り付いている。
乳房はツンと張りがあり、今にも滴が落ちてきそうなほど濡れている。

所々に黒いヘドロが付着している。

やはり、奇妙な形に、背骨は折れ曲がっている。
時計の針で例えるなら、6時35分というところか。

前屈ではない、綺麗に後屈に折れ曲がっている。

逆さの女・・・

濡れた黒い髪の毛は、排水溝に溜まった毛のように、
白いカスのような汚物が絡まっている。

その毛が、ダラリと地まで垂れ下がり、暗闇の中へと続いている。


ゆらゆら・・・

ゆらゆら・・・

赤神の頬の辺りで鬼火が、少し大きく揺れた。

今見れば明らかだった。

先ほどから明滅する炎は、松明ではなかった。

逆さの女と・・鬼火。

その炎は、まったく熱くはない。
しかし、細胞が凍り付き、ジワジワと死んでいくような感覚に襲われる。

瞬きをせずに見つめる逆さの女の乳首が、ツン・・と立ってきた・・

赤神は、まだ動けないでいる。

別に、金縛りにあってるわけでもない・・・

まだ、身体が思うように動かない。

腹に空いた穴から、出血が酷くなってきたのを感じた。

ドクドクと血は流れ、水と混ざりあっていく・・

血のマーブル模様が出来上がる・・・

幸い、此所は、雨水だけが流れているらしい。
降ったばかりの雨だから、さほど汚れてはいなかった。

それでも、血が流れることには変わりなかった。

もし、動くこと・・戦うことになれば、赤神は死ぬだろう。

このまま動かなくても、いずれ死ぬであろうが・・・

それを待っているのか?この女は・・・

女は、鬼火をまるでヨーヨーのように、手の平と地面の間を行き来させ、
赤神の様子を伺っている。

眠りを誘う・・死への眠り・・・

赤神の意識が遠のいていく・・・このままでは・・眠ってしまいそうだ。



「あ・あ・・・マンホールの女・・か・・・」


赤神は、眠りの淵を彷徨いながら、ポツリと呟いた。



「 わ た し の 穴 に オ マ エ 侵 入 し た 」



冷たい息が、耳にかかる・・女の声は、眠りの淵に響いた。



「・・オマエは・・・・」



赤神は、意識を失いかけながらも・・ゆっくりと言葉を続けた。



「・・・すでに貰ったのであろう?」



女がにやりと笑った。



ザバン・・・・



大きな水音がした。

赤神の眼に光りが蘇る。


目の前に、黒い塊がある。



それは、涙の痕をくっきりと残した黒丸の首であった。


マンホールの女。

マンホールの女。

マンホールの女。


それは、マンホールに"憑く"女。

マンホールの蓋を"お立ち台"にし、真夜中に湯煙(スモーク)とともに現れる女。

命あるものではない。

何故、マンホールに取り憑いているのかは、分からない。

だが、この女は確実に "マンホールに憑いている"


以前、空怪が、この女の事を、自分に話した事があった。


もし、この"マンホールの女"に遭遇すると、"鉄の制裁"で頭蓋骨を粉砕されるから
気をつけなければいけない。

制裁・・・


また、許しもなく彼女のマンホールに侵入すると、"何か"と引き換えにではないと、
生きて外には出られない。

何かを・・・


"マンホール"に"侵入"するという事は、"彼女"を"抱く"という事であるから、
彼女に"己の愛"を示さなければいけないと・・・

愛・・・


その代わりに、穴より外に出られた時には、
何かしかの"己の穴"が元に戻るとも云われている。

穴・・・


それは、身体の傷であったり、心の傷、心にぽっかりとあいた穴であったりと、
いろいろであるから・・・

心の傷・・・



黒丸は自分の命と引き換えに、赤神を救った。



マンホールの女が微笑む。


鬼火が揺れた。

赤神の身体が、ゆっくりと宙に浮く。

まるで、鬼火に引っ張られるかのように、赤神は浮く。


そして、ゆっくりと 光の中へ


天・・・・



地上・・・・・・・・へと・・



その光の中に、一羽の軍鶏が、羽ばたいている。


赤神の身体の周りをグルグルと回り、何処か寂しそうな目をした軍鶏が羽ばたいている。


赤神はゆっくり手を伸ばす。


そして、その軍鶏を、優しく抱き寄せた。


軍鶏は、嬉しそうな目をして軽く赤神の頬を啄んだ。


赤神の頬から、幾つもの涙が零れ落ちた。


その涙が、宙でぱっと弾ける。


その瞬間、腕の中の軍鶏が、ブワッと何枚もの羽根となり、宙に舞った。


その羽根は、黒から白へと変化し、大空は、白い羽根で埋め尽くされる。


羽根は優しく赤神を包み込んでいく・・・




そして、ゆっくりと地上へ舞い降りていった・・・・





ポタリと水が頬に落ちた。

赤神はゆっくりと目を開けた。

道路に、倒れ伏している赤神。

指先を動かすと、湿った土が指に着いた。

地面は、濡れている。

水浸しになったビニール袋が無数に散らばっている。

黒い矢が、何本もアスファルトに突き刺さっている。

ハイル・ビニールとの闘いの痕。

赤神は、腹の傷が、すでに痛く無い事に気づいた。
そして、身体が動かせることにも・・・

「ああ・・腹を貫かれた傷はもう塞がっている。」

マンホールの穴から出られた時に、ウニクロにやられた傷口は、すっかり塞がった。

「・・穴も・・・塞がる・・か・・・」

赤神はゆっくりと、立ち上がる。



静かな夜 月明かりの下、黒い髪が揺れている。


「心の傷は・・・塞がらなかった・・・ぞ・・空怪。」


ぎゅっと拳を握った・・・


赤神は、自分の黒くなった髪を掻き上げ、もう、誰もいなくなった戦場を眺めた。



「ゴミが多すぎるな・・この街は・・・」


つづく・・・