鈎針婆の章 おろし!! #47†信号蟲†

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誰もいない。

どんなに大声で叫んでも、誰にも届かない。

いくら走っても、ここから出られない。

出口はない。

ここは、無限空間。

子供の頃の記憶が蘇る。

あの時も、こんな感じだったなあ・・・

赤のような、橙のような空。
そして、どこまでも続く冷たい白い床。

辺りは、シーンと静まり返っている。

誰もいない。何もない。本当に、自分以外、誰もいないし、何もない。

かろうじて、空気と光だけはあるようなところ。

「ここが・・信号蟲(しんごうむし)の巣・・か。」

と、空怪は、空を見上げながら言葉を、ぽつりと漏らした。

そして、ゆっくりと、冷たい床に、座する。

時が止まったかのように・・・もの凄く静かだ。

目を閉じる。

暗闇が生まれる。

もう少ししたら、己の心の奥底に辿りつけそうだ。


・・・無・・・・


しばらくすると、うっすらと像が浮かんできた・・・

それが、だんだんと形になってゆく・・・

それは、今夜、初めて出会った空缶娘の顔。

とても綺麗な顔をした少女・・化け物だった。

「あれほどの面をもつ者とは・・・それにしても・・・ああ・・」

空怪は、実は迷っていたのだ。

なぜなら、今夜、空缶娘と接触し、
娘が持つ「魂瓶」に封じ込められた、人間の魂、
"さるお方の嫡男の魂"の奪還をしなければならなかったから・・・

報酬は、妖怪点滴一年分。

これに負けた。

空怪は、これまでの戦いで、身も心も破壊されているから、
負けてもおかしくはない。

本来なら、即身成仏になってもおかしくないほどに弱っている。
もう、化け物のパワーを点滴として、身体に取り入れなければ、
生きている事はできないであろう。

いや、幼き頃に、死んでいたのかもしれない・・・

空怪にとって、妖怪点滴はなくてはならない物、生命維持装置のようなものだ。

そして、能力の源である。

赤神が、鬼の力を、幼少の頃、試練に打ち勝って得たのに対して、
空怪は、多種多様の化け物の力を、点滴として取り入れ、それを自分の力とした。
↑このあたりは、赤神外伝「もみぢおろし」で書かれています。
まあ、赤神の場合、選ばれし一族の者なのだから、鬼の力も得られるだろうが、
空怪は、そのような選ばれし一族の者でもない。

ある意味、選ばれた者かもしれないが・・・

強いていえば、只の人間だ。
それも、病弱で、持久力の無い、もやしっ子。
すぐに熱を出し、死の淵を彷徨う 薄命な子供。

風に飛ばされそうな子だった。

そんな、幼き病弱の空怪を変えたのが、妖怪点滴だった。

生贄牡羊(イケニエノオヒツジ)・・・

この組織が、幼き空怪に、初めて妖怪点滴を与えたのだ。
そして、知らず知らずに空怪は、合成人間となった。

子供の頃は、まだ一年に一度の点滴で済んでいた。
それだけでも、空怪は、随分変わった。
元気で活発な子供になった。

家族は、みんな喜んだ。

死にかけていた子が、こんなにも元気になった・・・と。

しかし、それは間違いだった。

空怪は、実験体にさせられたのだ・・・

家族も誰も点滴の中身が、化け物エキス・パワーだなんて知るはずもない。

我が子に、化け物のエキスを入れられたなんて事を知ったら、卒倒するだろう。

しかし、その事を知る時が訪れた。

小学校六年の春、空怪は身体の異変に気づく。

見かけは人間ではあるが、人間には到底出来ない事、
7階のビルの屋上に、ジャンプで届くとか、
夜に徘徊する化け物が見えたり、話かけられたりとか・・

この年齢あたりから、点滴を打つたびに、尋常ではない力が備わっていくのが分かった。

ので、空怪は、他の子とは違う自分のパワーに、恐怖を感じた。

家族も、その事に、うすうす感じはじめた。

『我が子は、もしや・・人間ではない・・・のかも』・・・と。

しかし、今更、点滴を止めるわけにはいなかい。
点滴のおかげで、死なずに済んだのだから。

そうこうしているうちに、その年の盆、夜中に、空怪は連れ去られた。

もちろん生贄牡羊に・・・ゆうひ病院経由で・・・
「ゆうひ病院」とは、第一部「怪徴の章」で、痢煙が通っていた病院。
って事は、その病院も生贄牡羊の組織の一部って事なんですね。


その後、家族は、どうなったのかは定かではない。

生きているのか死んでいるのか分からない。

空怪は、会えなくてもいいから、ただ、生きていてくれればそれでいいと思った。

「ああ・・この巣は、本当、色々と考えさえられるなあ・・妖怪点滴・・なあ・・」

空怪は、一筋の涙を流し、そして、再び心の奥深くに入り込んでいく・・・

『ああ・・親と離れ、どれくらい月日が経ったのだろうか・・
あの頃は、昼夜を逆にし、何も考えず、与えられた事をこなして生きていた・・・』

連れ去られたあの日から、空怪は、森魚(もりうお)という大僧侶の下で修行させられた。

森魚と全国を周り、いろんな化け物の調査をし、そして戦った。

森魚と共に、合成人間の製造にも加わった。

それも、生きるためである。致し方無かった。

そして、年を重ねるごとに、禁断症状が激しくなり、妖怪点滴の量も、打つ回数も増えた。

空怪は、一生、この組織の一員となるしかなかった。

もう、離れて生きることは出来なくなっていた・・・

ある年の暮れ、森魚から、雪や氷に関わる化け物の調査をせよと命じられ、
旅をする事になった。

はじめて、単独の行動を許されたのだ。

ようやく、それが出来る身位になったのだ。

それから、数年、各地の雪山を登り、化け物調査に明け暮れた。

そんな時、あいつらと出会った。

そして、あの人を見た・・・

「ふふ・・気づかなかったが、同じ組織にいたんだよなあ・・・」

この出会いで、空怪の心の中で何かが芽生えた。

ああ・・自分と同じような人間が居るんだ・・・仲間なんだ・・・

彼らには、生贄牡羊、森魚に感じなかった 暖かさがあった。

そして、とうの昔に忘れていたこと、
「生贄牡羊を倒す」事を思い出させてくれた。

「そして、私たちは、ある計画を立てた・・・」

それが・・なぜか・・・まだ実行できないでいる。

すでに、"あいつら"の中のひとり、赤神は、生贄牡羊を裏切ったというのに。
まあ、赤神は、そもそもスパイ活動のために組織に潜入したのだから、
裏切りとは言い難いが・・・

それでも、覚悟はいる。
恐ろしいほど巨大な闇の力を持っている組織に、
命を狙われるというのは、よほどの覚悟だ。

赤神なら出来るだろう・・あの男なら・・

「そういえば・・もうひとりは、まだ動いていないだろうが・・・ん?
あいつは、組織に入っていたっけ?・・・」

なら・・・

動けないのは空怪だけであった。

確かに、今回の報酬の妖怪点滴一年分に負けた。

だが、幸いにも、「赤神討伐」、「痢煙計画」、「幽体離脱化計画」とか云々には、
一切関わっていないので、良し・・だろう?

ああ・・黒死に、今度会った時に、なんて言い訳すればいいのか・・・

いやいや、これが悩みじゃない。こんな事を悩んでるんじゃない。

組織を出るのは、とうに決めたことだ。

言い訳かもしれないが、妖怪点滴一年分を受け取りさえすれば、
今後のリハビリも安心だからだ・・・

ああ・・ダメだ・・負けている・・この時点で負けている。
修行が足らん・・・もう、言い訳にしかすぎない・・・ああ・・

「まあ良いか?・・この事が、悩みでは無いんだから。」

もっと自分の、本質に関わる事だ。

また、空怪は、心の奥深くへ入っていく・・・

『わたしは、人間の姿をした、人間ではない自分だからかもしれないが、
化け物に恋心を抱いている。』

いや、化け物に恋しているのではない。

『愛おしいのだ・・・とっても愛おしく思えるのだ。』

自分の身体にながれる血に、これまで倒した化け物の力が流れているからか?

それもそうなのだが・・・否定はできない。

なぜ、この世から、化け物を消滅させなければならないのか?

「そうだ・・そういう事なんだ。何故、わたしが・・・手を下す・・のか。」

確かに、消滅させなければならない化け物もたくさん存在する。

しかし、全てではない。

今夜の化け物、空缶娘なんてのは・・消滅させてはいけない存在だ。

「何が、さるお方の嫡男だ・・・誰やねん・・その、さるお方って。」

意識が戻ってくる・・・空怪は目を開き

「よし、止めよう。ははは。はい、ここまで。」

と、笑いながら、一冊の日記帳と筆をとった。

「今日の出来事、空缶娘に遭遇・・っと。」

空怪は嬉しそうに、今日あった事をスラスラと書いていく。
空缶娘との出会い、そして夜空のランデブー。
一瞬だったけど、痢煙との偶然の出会い。
そして、この信号蟲の事。

「強制的だけど、のんびり出来るのはいいなあ。」

空怪が持つ書物、「奇々怪々」の「信号蟲」の項には、こう記されている。

歩行者信号に巣くう、信号蟲という化け物あり。
この化け物は、巣にした信号機、または、その巣と連動した信号(車両用)を、
人間が無視した場合、信号機の中(信号蟲が作り出した異空間)へ、
引きずり込み、その肉を喰らうという。
だが、この信号蟲は、警戒心が強く、捕らわれた人間が弱り餓死するまで姿を見せない。
歩行者マークのおじさんが、正体だと言われているが、それは定かではない。

自力で脱出する方法は、未だ見つかってはいない。
今のところ、この巣から出る方法はただひとつ。
次に誰かが、この信号機を無視することだ。
つまり赤なのに通行するということだ。
さもないと、出口は現れないらしい。

注目するところは、
この信号蟲の巣の中、その中では、時間が止まっている。
もしくは、時間が経つのが非常に遅い。
外に出れば、時間は、それほど経ってないらしい。

「信号蟲の巣の中では、まずあわてない事だな・・・
無駄に、体力を経て死んでしまえば、ヤツの餌食になってしまう。
ここは、ゆっくり・・・ん?」

ギガガガガガガゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ・・・・・・・

空間に爆音が広がる。

何かが、もの凄い勢いで、こちらに向かってくる。

もの凄い煙を上げて・・・

ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴーーーーーン!!!

「!? ヤ・・ヤバイ!ク・・来る!!」

グワッシャーーーーーーン!!

爆煙が広がる。

あたり一面、真っ白で見えなくなる。

すると、煙の向こうから、変なイントネーションの言葉が聞こえた。

「ゴホッ、ゴホッ、クソウ! ボサノバア ビッチ!!」

白い花びらが舞う。

ホワイト・ローズの香りが漂う。

そして・・・あの男のシルエットが浮かんだ。

「ああ・・・なんたる事だ。」

空怪は、深いため息をついた。


つづく・・・